公約実現の数々
私が実現した公約の数々。その具現化には様々な道程がありました。なかでも解かり易い典型事案を抜粋し、そこに至った様々な経緯や現況をお知らせ致します。
公約の実現には、長期戦を想定し、質問して機運を盛り上げていった方がいいか、逆に質問しないで役人や関係諸機関との連携を駆使して改善した方がいいか(議会で質問すれば役所が非協力路線に入ったり、他議員が必ず邪魔をしてくるので逆に実現が遠のくことも多いです)、その見極めが大事で、そもそもそれがわかっていない議員、勘が鈍い議員が多過ぎます。
「大人による大人の為に快適な環境ばかりで子供の為の空間がないという現状を変える。大人が介在しない、元気な子供達の為の空間づくり」これは私の本願で、議員を志した理由です。私の根幹であり、議会活動における全ての骨子です。一ミリも妥協しませんでしたので様々に軋轢を生みましたし、賛同してくれているかのような多くの議員や役人の欺瞞も感じる事となりました。
公約の実現には、長期戦を想定し、質問して機運を盛り上げていった方がいいか、逆に質問しないで役人や関係諸機関との連携を駆使して改善した方がいいか(議会で質問すれば役所が非協力路線に入ったり、他議員が必ず邪魔をしてくるので逆に実現が遠のくことも多いです)、その見極めが大事で、そもそもそれがわかっていない議員、勘が鈍い議員が多過ぎます。
「大人による大人の為に快適な環境ばかりで子供の為の空間がないという現状を変える。大人が介在しない、元気な子供達の為の空間づくり」これは私の本願で、議員を志した理由です。私の根幹であり、議会活動における全ての骨子です。一ミリも妥協しませんでしたので様々に軋轢を生みましたし、賛同してくれているかのような多くの議員や役人の欺瞞も感じる事となりました。
青山公園「ボール遊び禁止」看板撤去
これは港区政史上でも屈指の評価に値する公約実現案件であると自負しております。これを嚆矢に「公園におけるボール遊び解禁」が港区全土に波及したのです。私が改善するまでは、区内の都立青山公園は「野球・サッカーは禁止」という看板が掲げられており、子供達が軽くボール遊びをするや否や警察に通報され、駆け付けた警官に子供らが取り囲まれて事情を聴かれるという異常事態が頻出していました。酷い時には月に30件(ほぼ毎日)のクレーム電話が警察にあったそうです。
「都立公園はボール遊び禁止、区立公園では禁止ではない」というルールが実情に合ってなかったのです。両公園は隣接し繋がってますが、ルール上青葉公園は区立なのでボール遊びが出来ますが、いかんせん狭く、かつ遊具があって幼児が多くて危険なのです。青山公園は広くてボールフェンス迄ついているのにもかかわらず都立なので禁止というあべこべな実情になってました。
私は本願達成のため、議員になるや毎本会議・委員会において再三再四区長、担当課に質疑議論提言を行い、東京都の担当部課長とも会談し、また、地域で「公園に子供たちの元気な遊びを取り戻す会」を結成し、毎月定例会を行い、東京都管轄の青山公園サービスセンターにたびたび提言を行うなど機運を醸成しました。 その間、公衆電話(公園の公衆電話からの110番通報は無料)で通報を繰り返すホームレスの方(公園在住)を説得すると同時に自立支援センター施設の入所相談にも乗り、難色を示す一部地域住民とは協議を重ね、事故発生の際は、なんと「私が全賠償責任を負う」という覚書も作成して静観してもらう事としました。
通報されれば現場に駆け付けざるを得ない警察の担当部にも出向き、子供のボール遊びは危険な遊びではないとの見解を確認共有し、今後は電話での通報者に対し、危険なボール遊び(目安は中学生以上によるバット使用による本格的な野球)をしているのか否かをまず通報者に確認する事を提言依頼し、理解頂きました。以降通報で駆け付ける警官は目に見えて減少しました。
取り組みから2年弱。遂に事態は動きました。平成21年1月8日、都の公園管理者が看板架け替えについて賛意を示し、程なくボール遊び禁止看板は撤去となりました。4か月後には同時に取り組んでいた有栖川宮記念公園の「球技禁止」看板撤去も実現しました(後述)。しばらくは相変わらず会社員の喫煙所と化したまま(これにも同時に取組み、同年3月禁煙区域に)でしたので、私はボール遊び解禁を認知させる為に毎週木曜日夕方に野球部の後輩を一人付き添わせ、私費で購入したグローブやボールをいくつもズタ袋に入れ、「青山キャッチボールの会」として、道行く少年らに声をかけキャッチボールを行いました。
しかしながらボール遊び解禁を知らない近隣クレーマーからの通報は激増し、人事異動で引継ぎがされなかった為か警官が駆け付ける事も増え、会の主宰者である私はその都度「ボール遊びは禁止ではなくなった」旨説明する事態が続きました。理解のある警官もいましたが、「ここのボール遊びは駄目。嫌がっている人が一人でもいるなら駄目なんだよ。いつも通報されているんだからやめろ」と聞く耳持たずにまくしたてる警官もいましたし、「あんた区議会議員だよね。知ってるよ。後で痛い目見るよ」と捨て台詞吐いてゆく警官も。前掲したホームレスの方を説得する際には胸襟を割る為、缶ビールを差し入れて公園で飲んで話してましたが、尺時定規な警官から「あなたは区議会議員なんだから差し入れは利益供与にあたる可能性がある」と心なくも言われた事もありました。
この取り組みは私の人生も暗転させます。のちに区議会公式Facebookにこのボール遊びにおける私に関する事実誤認、誹謗中傷コメントが掲載された事があります。ひどい内容に加えて先方が誤認を認めないので地裁に提訴したところ、完全事実誤認である事を先方が認め25万円の慰謝料を私に支払う事で落着したのですが(右写真参照)、一連の証拠書類として開示された警察の通報記録をみて驚愕しました。ボール遊び解禁を認知させる為に行ってきた私のキャッチボール活動は、通報した者の独りよがりな通報理由を根拠に「危険行為」として事細かく記載され、私は地域における危険人物として警察に完全マークされる事となっていたのです。反対派の多い案件に怯まずに取り組み、実現に賭け公約を実行するという事はそれほどのリスクを負うという事なのでしょう。
私が様々に実現した成果はあっという間に忘れ去られるもので、反対すらしていた他議員や何ら取り組む姿勢を見せなかった他議員が「あれオレ詐欺」をし、悔しく思う事もありますが、功績を忘れ去られたって全然構わないし、道すがら元気に子供たちがボール遊びに興じる姿を見るにつけ心から「取り組んで実現してよかったな」としみじみ心から思える案件です。このような「人生賭けてでも取り組んで実現した」という公約実現案件が他議員にあるとは思えません。 青山公園についてはとても良い状況が続いたので、ここ数年静観を続けておりましたが、その間隙を縫ってか最近「木登り禁止。木が泣いています」という馬鹿げた注意書きが張られ、それに意を強くし、息を吹き返した子供嫌いのクレーマーが再び「ルールはルール症(意味のないルールをルールとして疑うことなく、それどころか意味のないルールを作り出す)」を発症し、子供を注意して回るという異常事態が再噴出し始めています。近日中にやんちゃな子供達の為に再始動するつもりです。
※たった今この政策チラシ入稿寸前に悪い知らせが届きました。
青山公園に「ボール遊び禁止」の看板が再掲示されたとの事。14年ぶりの事です。公園サービスセンターに問い合わせると、「クレームが入った」との安直な応えで、引継ぎがなされていない為か私が取り組んだ看板撤去の経緯についても全くわかっていません。私が手を離すとあっという間に逆行するこの実状に愕然とします。再び看板撤去への取り組みを始めます。皆様の声をお寄せ下さい。再び看板撤去への取り組みを始めます。皆様の声をお寄せ下さい。
「都立公園はボール遊び禁止、区立公園では禁止ではない」というルールが実情に合ってなかったのです。両公園は隣接し繋がってますが、ルール上青葉公園は区立なのでボール遊びが出来ますが、いかんせん狭く、かつ遊具があって幼児が多くて危険なのです。青山公園は広くてボールフェンス迄ついているのにもかかわらず都立なので禁止というあべこべな実情になってました。
私は本願達成のため、議員になるや毎本会議・委員会において再三再四区長、担当課に質疑議論提言を行い、東京都の担当部課長とも会談し、また、地域で「公園に子供たちの元気な遊びを取り戻す会」を結成し、毎月定例会を行い、東京都管轄の青山公園サービスセンターにたびたび提言を行うなど機運を醸成しました。 その間、公衆電話(公園の公衆電話からの110番通報は無料)で通報を繰り返すホームレスの方(公園在住)を説得すると同時に自立支援センター施設の入所相談にも乗り、難色を示す一部地域住民とは協議を重ね、事故発生の際は、なんと「私が全賠償責任を負う」という覚書も作成して静観してもらう事としました。
通報されれば現場に駆け付けざるを得ない警察の担当部にも出向き、子供のボール遊びは危険な遊びではないとの見解を確認共有し、今後は電話での通報者に対し、危険なボール遊び(目安は中学生以上によるバット使用による本格的な野球)をしているのか否かをまず通報者に確認する事を提言依頼し、理解頂きました。以降通報で駆け付ける警官は目に見えて減少しました。
取り組みから2年弱。遂に事態は動きました。平成21年1月8日、都の公園管理者が看板架け替えについて賛意を示し、程なくボール遊び禁止看板は撤去となりました。4か月後には同時に取り組んでいた有栖川宮記念公園の「球技禁止」看板撤去も実現しました(後述)。しばらくは相変わらず会社員の喫煙所と化したまま(これにも同時に取組み、同年3月禁煙区域に)でしたので、私はボール遊び解禁を認知させる為に毎週木曜日夕方に野球部の後輩を一人付き添わせ、私費で購入したグローブやボールをいくつもズタ袋に入れ、「青山キャッチボールの会」として、道行く少年らに声をかけキャッチボールを行いました。
しかしながらボール遊び解禁を知らない近隣クレーマーからの通報は激増し、人事異動で引継ぎがされなかった為か警官が駆け付ける事も増え、会の主宰者である私はその都度「ボール遊びは禁止ではなくなった」旨説明する事態が続きました。理解のある警官もいましたが、「ここのボール遊びは駄目。嫌がっている人が一人でもいるなら駄目なんだよ。いつも通報されているんだからやめろ」と聞く耳持たずにまくしたてる警官もいましたし、「あんた区議会議員だよね。知ってるよ。後で痛い目見るよ」と捨て台詞吐いてゆく警官も。前掲したホームレスの方を説得する際には胸襟を割る為、缶ビールを差し入れて公園で飲んで話してましたが、尺時定規な警官から「あなたは区議会議員なんだから差し入れは利益供与にあたる可能性がある」と心なくも言われた事もありました。
この取り組みは私の人生も暗転させます。のちに区議会公式Facebookにこのボール遊びにおける私に関する事実誤認、誹謗中傷コメントが掲載された事があります。ひどい内容に加えて先方が誤認を認めないので地裁に提訴したところ、完全事実誤認である事を先方が認め25万円の慰謝料を私に支払う事で落着したのですが(右写真参照)、一連の証拠書類として開示された警察の通報記録をみて驚愕しました。ボール遊び解禁を認知させる為に行ってきた私のキャッチボール活動は、通報した者の独りよがりな通報理由を根拠に「危険行為」として事細かく記載され、私は地域における危険人物として警察に完全マークされる事となっていたのです。反対派の多い案件に怯まずに取り組み、実現に賭け公約を実行するという事はそれほどのリスクを負うという事なのでしょう。
私が様々に実現した成果はあっという間に忘れ去られるもので、反対すらしていた他議員や何ら取り組む姿勢を見せなかった他議員が「あれオレ詐欺」をし、悔しく思う事もありますが、功績を忘れ去られたって全然構わないし、道すがら元気に子供たちがボール遊びに興じる姿を見るにつけ心から「取り組んで実現してよかったな」としみじみ心から思える案件です。このような「人生賭けてでも取り組んで実現した」という公約実現案件が他議員にあるとは思えません。 青山公園についてはとても良い状況が続いたので、ここ数年静観を続けておりましたが、その間隙を縫ってか最近「木登り禁止。木が泣いています」という馬鹿げた注意書きが張られ、それに意を強くし、息を吹き返した子供嫌いのクレーマーが再び「ルールはルール症(意味のないルールをルールとして疑うことなく、それどころか意味のないルールを作り出す)」を発症し、子供を注意して回るという異常事態が再噴出し始めています。近日中にやんちゃな子供達の為に再始動するつもりです。
※たった今この政策チラシ入稿寸前に悪い知らせが届きました。
青山公園に「ボール遊び禁止」の看板が再掲示されたとの事。14年ぶりの事です。公園サービスセンターに問い合わせると、「クレームが入った」との安直な応えで、引継ぎがなされていない為か私が取り組んだ看板撤去の経緯についても全くわかっていません。私が手を離すとあっという間に逆行するこの実状に愕然とします。再び看板撤去への取り組みを始めます。皆様の声をお寄せ下さい。再び看板撤去への取り組みを始めます。皆様の声をお寄せ下さい。
有栖川公園看板撤去
区立公園(ボール遊びは禁止されていない)であるにもかかわらず、過去にクレームがあったせいで「この広場ではサッカー、野球などの球技は禁止です」の看板が高々と掲げられておりました。
これも再三再四、私が議会で質問を繰り返し、改善機運が盛り上がってました。
当時の麻布まちづくり担当である滝川参事は年齢こそ離れておりましたが、私と野球仲間であり、とても気が合う熱い方でした。平成21年5月、飲んでいる最中に彼から「私は定年間近。赤坂議員は私に最後何をしてほしいですか」という熱い問いかけに、私が「球技禁止の看板を掛け代えてほしい」と懇願したところ一気に事態は好転、翌6月15日についに球技禁止看板が「他人に迷惑をかけないように遊びましょう」文言看板に切り替わりました。
当日私は多くの同志を集め見守りましたが、「球技禁止」看板が撤去される瞬間に男の子たちから大歓声が沸き上がった瞬間は忘れられません。クレーマーに限らず多くの同調圧力傾向が強い方々は、とかくクレーム理由を看板文言に依拠するので、ボール遊び禁止という文言をなくすことは決定打となります。
これも再三再四、私が議会で質問を繰り返し、改善機運が盛り上がってました。
当時の麻布まちづくり担当である滝川参事は年齢こそ離れておりましたが、私と野球仲間であり、とても気が合う熱い方でした。平成21年5月、飲んでいる最中に彼から「私は定年間近。赤坂議員は私に最後何をしてほしいですか」という熱い問いかけに、私が「球技禁止の看板を掛け代えてほしい」と懇願したところ一気に事態は好転、翌6月15日についに球技禁止看板が「他人に迷惑をかけないように遊びましょう」文言看板に切り替わりました。
当日私は多くの同志を集め見守りましたが、「球技禁止」看板が撤去される瞬間に男の子たちから大歓声が沸き上がった瞬間は忘れられません。クレーマーに限らず多くの同調圧力傾向が強い方々は、とかくクレーム理由を看板文言に依拠するので、ボール遊び禁止という文言をなくすことは決定打となります。
交差点(赤坂小学校前)信号時間変更
平成20年に実現した案件です。檜町公園方面から来た車が青信号から黄色信号に切り替わる寸前に乃木坂方面に左折すると、赤坂小学校前の歩行者信号が青にすぐに切り替わっている為、歩行者(特に通学中の子供達)と左折車との衝突が懸念されておりました。
保護者の方々からの要望を受け、警察交通規制課本部管制課と現地視察、協議を重ね、全4基の全面赤信号時間を3秒から5秒に延長したために状況は改善されました。この事例を嚆矢に現在まで区内13か所の通学信号時間改善を行いました。
保護者の方々からの要望を受け、警察交通規制課本部管制課と現地視察、協議を重ね、全4基の全面赤信号時間を3秒から5秒に延長したために状況は改善されました。この事例を嚆矢に現在まで区内13か所の通学信号時間改善を行いました。
乃木会館前押しボタン
中之町幼稚園、赤坂小中学校に程近く子供達も多く利用するにもかかわらず、車両優先の押しボタン式だった当該信号を自動式にできないかとの要望を受け、平成20年8月に着手。警察交通規制課、本部管制課との現地視察を重ね、翌月より自動式(夜間のみ押しボタン式)に変更できました。※押しボタン式の看板はついたままです。この事例を嚆矢に区内12か所の通学路押しボタン式歩行者信号を自動式に変更しました。
この「交差点信号」と「押しボタン」の前掲2件案件は、子供の安全の為にも喫緊の課題でしたので、議会で質問せずに関係諸機関との密かなやり取りで実現させた案件です。議会で質問すればいずれかの不作為が明るみに出る為、逆に実現出来ない理由を並べられ、外堀を埋められる事も多いです。また、当時から頻発していた近住議員の妨害も多発していたので、議会質問を避ける判断をしました。
この「交差点信号」と「押しボタン」の前掲2件案件は、子供の安全の為にも喫緊の課題でしたので、議会で質問せずに関係諸機関との密かなやり取りで実現させた案件です。議会で質問すればいずれかの不作為が明るみに出る為、逆に実現出来ない理由を並べられ、外堀を埋められる事も多いです。また、当時から頻発していた近住議員の妨害も多発していたので、議会質問を避ける判断をしました。
南青山3丁目防犯灯設置
南青山3丁目8番地と10番地間の当該箇所は、土地所有者が複雑に入り組む等、新聞報道にも取り上げられる程に様々な問題を抱え、街路灯を設置する事もままならず長らく放置されてきました。複雑な事情を知っている故か当時の町会長がかなり渋りましたが説得し、長らく不調に終わっていたUR都市整備機構との協議をも私が単独代行し、幾度にわたる協議を上首尾に導き、設置場所の選定等幾数多の問題をクリアー。結果UR都市整備機構の所有地に防犯灯を設置する事を許可頂き、平成21年2月設置が完了しました。近接する土地所有者と思われる複数からの恫喝めいた電話が夜中に幾度もかかってくる等大変に苦労しましたが。これも議会質問という正攻法では到底実現不可能だったでしょう。この事例を嚆矢に累計62灯の防犯灯を設置しました。
赤坂7・8丁目町会左折地点 ポストコーン設置
平成19年当時迄、私が取り組む迄はこの区道はあらゆる個所で整備が行き届いておらず、当該箇所も歩行者空間を遮るようにショートカットで左折する車によって子供や高齢者が幾度も危険に晒されていました。私は赤坂小学校保護者の陳情を受け、ポストコーンの設置へ動きましたが、同時に一部近隣住民より景観上問題があるとの反対も寄せられました。景観も大事ですが、安全が主眼と考え、赤坂支所のまちづくり担当課、警察の交通課と幾度にわたり現地調査を経て、ポストコーンを設置致しました。通常このようなケースでは推進派と反対派の両方に配慮し、問題自体を塩漬けにし、両方の支持を取りに行くというのが他議員の常道なのですが、そのような邪道に一切無縁な私は設置に踏み切りました(この動きを後から聴き付けた近住議員は定見なく景観派に付着し、設置を妨害してきましたが)。実際に車は減速し、設置は妥当であると多くの方々より感謝の声が寄せられ、その後もポストコーンの本数は試験的に増減を試み(写真は設置当初の本数のものです)、現在も定置しております。安全に寄与したと自負しておりますし、他の懸案場所のポストコーン設置の良い前例になりました。その後もこの区道における私の取り組みは続き、段差解消や車を減速させる効能を持つ道路マークのペインティング等々、区道は綺麗になり、概ね成功裏に仕上がったと認識しております。
子供アンケート実現
子供関連の政策決定過程において行われる意見抽出を、当事者たるしかも選挙権のない子供達からこそ抽出すべきと再三再四議会で主張してきました。有識者と称される街の重鎮(逆に最も子供ニーズを把握していない方々)はもとより、両親ですら子供の代弁者たり得ません。結果、平成23年初めて子供アンケートが実現しました。「港区子ども読書に関するアンケート調査」が11~15歳の、「港区の教育についてのアンケート」が小5、中2の子供達に学校を通じて配布されました。子供アンケートは現在に至ります。議会審議で機運を盛り上げる事が出来た好例です。
青山公園(旧赤坂警察署、旧赤坂図書館跡地)芝生化
ボール遊びが禁止されていた同公園同地区において、私がボール遊び解禁に向け活動していることはこれまでの報告通りですが、地域の方々の暖かい見守りにより、子供達が元気にボール遊びをするという、当たり前の情景が現出されつつあります。そして、このたび同地区における芝生化を実現しました。期間は暫定的なのですが、当初予定の資材置き場等になるよりは断然よいと判断し、各関係機関を説得に廻りました。檜町公園における実施実験結果も持ち込み、剥げない芝生(養生期間すなわち立ち入り禁止期間がない)を導入し、完成しました。現在は地域の憩いの場となっております。
乃木坂トンネル内照明設備整備工事完了
「乃木坂トンネルが暗い」と多くの方々より要望があり、私自身も改善を今期の公約に掲げておりましたが、きたしろ都議会議員や関係諸機関の御協力を得て、実現しました。
合計198台の照明器具を交換し、暗くどんよりしていた照明が明るくなりました。併せて吸音板設備も改修される工事は5月16日に終了しております。
合計198台の照明器具を交換し、暗くどんよりしていた照明が明るくなりました。併せて吸音板設備も改修される工事は5月16日に終了しております。
赤坂小学校近隣道路段差解消
赤坂7丁目6の45付近の道路上に段差があり、ベビーカー、車椅子のみならず、雨天時の自転車転倒等の不便が生じておりました。近隣の方々からのご要望を受け、平成23年のマンション建設に伴い段差を解消しました。
以前御報告申し上げた乃木会館前の信号(自動切り替え)、旧スーパーアズマ」前、和菓子屋「青の」前の交差点全4基全面赤信号時間3→5秒延長に引き続き、児童そして地域の方々の交通安全の為、尽力して参ります。
以前御報告申し上げた乃木会館前の信号(自動切り替え)、旧スーパーアズマ」前、和菓子屋「青の」前の交差点全4基全面赤信号時間3→5秒延長に引き続き、児童そして地域の方々の交通安全の為、尽力して参ります。
他の実現公約成功事例分析については紙幅の都合上、次回以降にしたいと思います。
- 乃木坂トンネルの照明設備整備
- 防災協会を招聘し、ジュニア防災検定の実施
- 野球教室の開催から、赤坂・青山共育事業での開催
- 水遊びが出来るよう区内公園の噴水塩素軽減
- 青山公園北地区の芝生化(旧赤坂図書館跡地)
- 児童公園の灰皿撤去
- 六本木竜土町美術館通りの臭気対策
- 芝浦運動公園テニスコートの周辺芝生化
- 区内運動場屋外休息所の日除け設置
- 各総合支所において、身障者の都営定期券授受を可能に
- 区内マンションにおける防災会設立要件を緩和 等々