平成25年決算特別委員会 教育費
要旨
1 新郷土資料館について
- 歴史に無知な者が政治に携わる事は、無免許・飲酒運転より性質が悪い。
- (1)開設準備委員会の選定について。
- (2)総合計画表における、歴史用語についての見解を問う。
2 新スポーツセンターについて
- (1)オープニングセレモニーの計画について。
- (2)新たな利用者開拓の工夫について。
- (3)「観る」「支える」の充実強化策について。
3 その他
全文
◯委員(赤坂大輔君)
まず、拝聴していまして、いろいろストレスがたまりました。間違いなく言えることは、私には、あくまでも日本を日本たらしめてきた伝統というものを保持したい、保守したいということが骨の髄から濃厚にあるということです。これを日常に持ち込んでしまうということです。
先ほどからよく歴史や伝統を守る、歴史と伝統を大事にしてと、多くの方がおっしゃっておりますが、それらは大体伝統工芸や民俗文化であるに過ぎないわけです。それらは何の伝統でもない。何を話し出すか、だんだんつながってきますから聞いていてください。
何をもって伝統とするか。例えばイギリスに行きますと、裏の野山で白鳥がとれたら、日本の宮内庁のようなところに電話して、許可をとらないといけない。なぜかというと、それはエリザベス女王のものだから許可を得なければいけない、そのような風習はいつからの伝統で、いつから続いているのですか、と問いますと、12世紀からですとイギリスの方は胸を張って答えます。伝統というものは、長く続けば続くほど尊いものであって、民意や人気に委ねるものでもないです。流行、風俗に委ねるものでもないです。
日本最長の伝統、すなわち世界最長の伝統とは、2673年125代続いている天皇家の歴史です。皇室です。皇統です。125代続いているということが、125代ではないのではないか、2673年ではないのではないかという学問上の話は後にしておいてもらって、これが国家の公式見解なのだということをまず教えなければいけないです。それがないと、茶道にしても、華道にしても、書道にしても、何もかも大もとが成り立たなくなってくるわけです。
今、式年遷宮といって、伊勢の神宮でやっていますけれども、その祭り主は男系女子の今の池田厚子様、天皇陛下のお姉様です。ご高齢なので、天皇陛下のご長女の黒田清子さんがやっています。必ず伝統にのっとってやっている。賢所で天皇陛下がお祈りしている。正月は四方拝、春分の日は春季皇霊祭、秋分の日は秋季皇霊祭、勤労感謝の日は新嘗祭、体育の日以外は宮中祭祀と絡み合っているわけです。
11月23日にうちに帰ったら、お父さん、いつもお仕事お疲れさま、きょうは勤労感謝の日ですと、そのような主旨ではないのです。宮中祭祀の大祭である新嘗祭がその日。誰が誰に何をお祈りする祭りなのかということは認識したほうがいい。神嘉殿にて天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇に奉られ、御親らも聞こし召される祭祀です。そのようなことがわからなくて、ただの勤務者、労働者の休みだと思っているから、11月23日の祭日は5月1日のメーデーでもいいのではないでしょうかと言う自民党の議員もいたのです。全然成り立ちが違うわけです。
よく男系、女系というと、赤坂さんのうちは男の子が多いから男系と言う、それは間違いです。男系、女系とは、父方、母方のことです。125代ずっと男系継承でやってきた。皇室典範第1条に、天皇は男系男子しかなれないと、これは女性差別だと言う人がいるけれども、間違いです。第15条には、男性は皇族になれないと書いています。民間の男性は絶対に入れないという血の重みです。これがこの系譜です。この系譜でずっと成り立っている。お父さんのお父さんのお父さんのお父さんをたどると必ず初代にいく。これこそが血統者としての重みなわけです。
一般民間人の相続とは財産権が絡むから、婿養子でもいいし、他家に嫁いだ女性でも有資格なのです。皇室の場合は、祭祀、祭り主なので、祭祀の有資格者だけが継ぐのです。ですから、今上天皇陛下が畏れ多くもご崩御あそばしたら、皇太子殿下がご即位あそばします。そこで次代の天皇陛下はお父さんのお父さんのという、皇祖・高宗、神武天皇までの今上陛下を入れて126方のことをお祈りするわけです。母方の正田家のことや奥様の小和田家をお祈りしない。その二家は我々の家と同じという扱いです。これをまずわかった上で、みこしもかついでもらいたい。伝統文化というものの重み、そのようなものは純粋培養された水とは全然違います。血のにおいにむせ返るような歴史を経てやってきているわけで、相当な重みがあるのだということを認識していただきたい。
我々の父、母は2人いて、祖父、祖母が4人いて、その上は8人、その上は16人、32人、64人、これを計算していくと、20代前に100万人超えるのです。25代前には3,355万4,432人、27代前は1億3,421万7,728人、今の人口より多くなる。明治までは3,000万人しか人口がいないわけですから、我々は男系・女系合わせて25代前までたどると必ず親戚です。必ずどこかで血がつながっている。
しかし、一切血を交えなかった、民間の男性を一切排除してきた男系継承の方々が今の皇族です。ですから、愛子様が天皇になっていいと思いますかという質問に対するベストアンサーは、何を言っているのですか、愛子様は伊勢の神宮の祭主になられる方でしょう、これがベストアンサーです。文化とは男女差別とは何も関係ないです。
朝青龍が左手で懸賞を受けた、これはだめなことです。神様からのいただき物は左でとってはいけない。これはサウスポーを差別しているわけではないです。ただし、土俵という結界に入ったら、神道の形式に倣ってもらわなければいけない。日常と非日常は違うということです。
そのようなこともいろいろ話せば長いのです。比叡山延暦寺に行きますと、不滅の法灯があります。1224年前から一度も炎が消えたことがない。この前地震があったときに、これをランプにしようという意見があったのですが、とんでもない話で、毎日菜種油を積み重ねてきた1224年の歴史をなくしてしまうことです。世界最古の建築物である法隆寺が、木造建築物だから意味があるわけであって、それを鉄筋にしましょうといったら意味がなくなるわけです。伝統とはそのようなものです。
しかし平成17年、8年前の有識者会議で、皇位継承は女系すなわち母方継承でもいいという結論が出たことを覚えていますか。全部で17回の会議、都合30時間、今の決算特別委員会と同じぐらいの時間でです。2673年とは私も少し懐疑的なのです。ただし1500年以上続いていることは間違いない。それを変えましょうと言うのです。父の父の父の父のとやる1本だけが皇統である。我々ですら、父の母の母の父の父の母のとやると必ず皇統に行くのです。しかしながらそれは男系とはいわず、雑系です。皇族には姓も苗字もない。民間の男性を入れないからです。民間の男性の血を交えなかったからこそ皇統の意味があるわけであって、愛子様が、畏れ多くも私の子と結婚したら、その子は赤坂家の内孫です。その子が田中さんと結婚したら田中さんです。その子が鈴木さんと結婚したら、母の母の母の父で初めて天皇陛下に行きつくと、我々の家系と変わらなくなるわけです。
民意に委ねたら、伝統ではないのです。これを有識者会議で変えようとした。座長は吉川弘之さんという方でした。この人はロボット工学の専門家なのです。10人の有識者会議、私はいつも手帳には名前を書いていますけれども、このような人たちを本当に許せなくて、この人たちは日本の伝統を絶やそうとしたのです。2673年、125代連綿たる皇室の伝統は、国家公式見解です。2番目に長いものはローマ法王で、3番目はデンマーク王室、4番目はイギリス王室です。日本が最長の伝統であるのにもかかわらず、最新の流行にしようとした人たちがいる。吉川弘之さんを座長とする有識者会議メンバー。全17回のうちにフル参加したのは1人だけで、ほとんどの人が休みに休んでいる。ロボット工学の人を座長にして結論を出した。それが女系すなわち母方でいきますということです。
私も、仮に皇統が女系で続いていたら、女系でやるべきと言います。男系でやってきたら男系でやらなくてはならない。それが伝統なのです。そのようなことに興味がない人は議論に加わらなければいい。有識者会議の人たちの意向によって、幾らでもそのような伝統が変えられるという恐ろしさを私たちは知りました。
それで、本題に入ります。港区立新郷土資料館の開設が近い。私も歴史について思いをいたす。開設準備委員会の委員のメンバーの選定とはどのようにされているのか。結論から言うと、近代史学の大門正克さんという方は、学会で有名な反日史観の持ち主でしょう。どのように選定されたか。
◯図書・文化財課長(前田憲一君)
新郷土資料館の展示等を計画するため、学識経験者7名ほかから成る開設準備委員会を組織いたしました。委員会では、新郷土資料館設置の目的、機能、展示計画、事業計画などについてご議論いただきました。委員のうち学識経験者の選定につきましては、港区の歴史や民俗に詳しい方、あるいは港区の歴史、民俗系の展示計画をつくり上げるために必要な分野の方々から、最近の展示法に対する考え方、あるいは展示構築や運営の実績、経験を重視し選定いたしました。
教育委員会といたしましても、新郷土資料館の展示等は教育委員会が主体となり、組み立てていくものと考えてございます。今後展示の基本設計等は開設準備委員会のみならず、多くの方々のご意見等を参考にして作成にあたりたいと考えております。
◯委員(赤坂大輔君)
さまざまな方々の意見を聞きながらやるということは、有識者会議でも言っていたのです。有識者会議とは先ほど言った皇室典範改悪のです。このときはさまざまな方が意見を言いました。皇族の方々からも、女系はやめてくれという意見がありました。
先だってご薨去されました寛仁親王殿下も、そのお父君である昭和天皇の弟君であらせられる三笠宮殿下も、そして寛仁親王殿下の長女、次女であらせられる瑶子女王、彬子女王もみんな女系はだめですと、我々は男系すなわち父方継承でやってきた家ですと、女系では民間と変わらなくなってしまいますとおっしゃいました。あのタイミングでご懐妊された秋篠宮家には明らかな意思を感じます。私は別にイデオロギーの話をしているわけではないです。ただこの新郷土資料館は余りにも偏っているのではないかということです。おかしい文言は幾つもあり、私は26見つけましたけれども、ここで申し上げると時間がないので、2つだけに絞ります。さまざまな考えの方がいらっしゃることは私もわかります。ただ、皇統に関してはさまざまな意見はありません。さきの大戦におけるさまざまな考えはあるでしょう。ただ、そちらの意見を言うのだったら、こちらの意見も言わせてくれということです。真ん中でやってもらいたいということです。
そもそもアジア・太平洋戦争という文言は、このような文言はここ二、三十年のはやりみたいなもので、これをひな形にしてやられた場合、多くの方が気づかないで、アジア・太平洋戦争はこの前の戦争だと思うのではないですか。さまざまな立場から言いますと、私は裁判規範上も行為規範上も罪刑法定主義上も、さきの大戦における日本は何一つ間違えたことがないということが私の見解です。ただ、歴史ですから、これからいろいろな証拠が出てきたらわかりません。私が3つ出した観点において、私を論破できた日本人に私は会ったことがないので、まだ私はそう思っています。
アジア・太平洋戦争に加え、もう一つ例を挙げます。外国人の受容と排除、これは小テーマにあります。その辺の文言は非常に危うい。事前に申し上げますと、大東亜戦争とは、昭和16年12月12日に閣議決定された正式な名称です。しかしながら、戦争に負けたときにGHQからその使用を禁じられまして、検閲されて太平洋戦争に書きかえられた、それが定着したものです。しかしながら、太平洋戦争というと、アメリカとだけやっていたように思われるから、アジアの人々に対する贖罪意識を涵養できないということで、アジア・太平洋戦争を提唱した先生方がいて、私もイメージしていたけれども、読むとそれなりの観点でおっしゃられているけれども、観点がどだい最初から違っているので間違えていると私は思っているのですけれども、アジア・太平洋戦争という、このようにイデオロギー色の強いものをこのように出すということが、ありていに判断してもらう材料となりえますか。
◯図書・文化財課長(前田憲一君)
展示構成案のうちの主に近現代を扱うテーマ展大テーマIIIを構成する中テーマの趣旨及び小テーマの名称に、アジア・太平洋戦争という言葉を用いてございます。アジア・太平洋戦争という言葉につきましては、戦域が太平洋域にとどまるものではなかったことを示す表現として使わせていただきました。
◯委員(赤坂大輔君)
そのようなご認識なのでしょうけれども、この名称には特定の意図がありますから、この名称はやめていただきたい。
もともとこの名称を使った意図が、日本だけが悪いという意図のもとです。そして、この方が所属されている歴史学研究会という学会があるのですけれども、これは世界史的な立場に立って歴史を俯瞰する。そもそも世界史的な立場では日本史は俯瞰できませんから。共通認識は持てないという立場に私はいますから。この人たちの声明はいろいろあります。例えば朝鮮人学校への無償化阻止をやめろなど、私が見ると目がくらくらするような主張ばかりされていまして、最近では慰安婦問題に関しても発言があります。慰安婦問題とは簡単なことです。私が言う必要もないです。別にここで披瀝するつもりはありませんけれども、何で日本だけが全部賠償しなければいけないのかと。お金を出すのですか、認めろ認めろと言う人に限って、この前飲み会に行っても全部割り勘だという話をしましたけれども、けちな人に限って、日本の財布から出ていくことに関しては無頓着なのです。非常に偏った学会、皆さんから見ると、私も偏っているのですか。
両極端なのですけれども、間違いなくこの方は特定の意図を持った学会に所属していますし、特定の意図を持った語句の使用をしているということで、再考願いたい。
もう一点、外国人の受容と排除という文言について、これも質問通告していますが、いかがでしょうか。
◯図書・文化財課長(前田憲一君)
総合計画の大テーマIIIを構成する中テーマ「国際化に見る港区の近・現代」の小テーマとして、「外国人の受容と排除」という展示を考えてございます。これは、主として幕末の開国直前と開国後間もないころの様子に焦点を当てた展示の名称として用いてございます。開国前後、外国人を受け入れる下地のあった土地、地域があった一方で、初手からこれを拒む土地などが存在したことを端的に示す表現として用いてございます。
◯委員(赤坂大輔君)
甚だ浅薄で聞くにたえない。外国人のことを受容したことなど日本は一回もありません。福沢諭吉などがここに載っていますけれども、福沢諭吉は最高純度の攘夷論者です。開国して攘夷すると言っているのです。何をもって受容なのか、何をもって排除なのか、今、開国している、今ですよ。
この前も、通りをアベニューにするなど、通りは英訳できないでしょう。例えばトイレ、日本には、せんちん、はばかりなど、16の和歌にも使われる和語がありましたが、今は全てトイレで統一されました。ラブもそうです。キスなどもそうです。全て統一して、このような文化の崩壊状態を私は開国と言うのだろうと思うのだけれども、江戸時代は受容などしていませんし、軍事的に排除したいと思っていたのか、精神的に排除したいと思っていたのか、精神的に外国の文化を受け入れようとしていた人などいないです。余りにも歴史に浅薄過ぎる。
歴史というものはもう少し複眼視して、いろいろな多極の面から見てもらわないと。内藤副区長とよくそのような話をしたので。内藤副区長の内藤家は幕臣なのです。やはり私も五稜郭で先祖が戦いまして、しかし江戸でやってもらいたかったよね、あの話。何で戦わなかったのという思いはすごくある。福沢諭吉など、260年間あった武士道を廃れさせたものは無血開城した勝海舟だと言う。やなざわ委員がおっしゃられたのですけれども、一面から見ると、そこは平和なのだけれども、長い歴史で見ると、そうではないなど、がゆえに勝てば官軍、何で会津はあそこまでやられなければいけないのか、そのような部分が全く抜けてしまう。外国人の受容と、恐らく何を書かれるかということは大体私はわかります。このようなことがありましたと。イギリスの公使館がそこにあってなどという話になるのでしょうけれども、この話はやめますけれども、浅いというか、一面から見過ぎて、歴史に取り組むということは本当に恐れ多いことだということがわかっているのか、わかっていないのか、伝統文化を大事にしましょうなどとよく言えるなという思いがしています。
次の質問に移ります。新スポーツセンターについてお伺いしますけれども、いよいよ皆様の期待のもとに新スポーツセンターができる。用途についてさまざまな意見がありましたけれども、オープニングセレモニーの計画があるのかどうか。そして、計画後にオリンピックの招致も決定しました。新たなさまざまなニーズが出てくる。既存の利用者のみならず、新たな利用者、開拓の工夫について、あとスポーツはやるだけなくて、やはり見ることや支えることなど、このような部分での要素も多々ある。その辺の充実強化策について3つお伺いします。オープニングセレモニーの計画について、新たな利用者開拓の工夫について、見る、支えるの充実強化策についてお伺いします。
◯生涯学習推進課長(白井隆司君)
新しいスポーツセンターのオープニングセレモニーの計画につきましては、現在関係する団体と検討を始めております。バレーボールやバスケットボールのトップチームから、教育委員会が直接参加の意向なども受けております。次期の指定管理者候補者からは、選考の過程で、トップアスリートによるイベントの提案を受け、一般財団法人港区体育協会や公益財団法人港区スポーツふれあい文化健康財団からもさまざまな提案をいただいております。
今後区内随一のスポーツ拠点の開設にふさわしいオープニングセレモニーとなるよう検討してまいります。
新たな利用者の開拓の工夫についてですが、港区の人口の特徴である子ども、子育て世代、高齢者をターゲットに、幼児から始めるスイミングなどの子どものプログラム、ベビーアンドマミーヨガなどの子育て世代のプログラム、トレーニング機器を利用した高齢者のプログラムなど、これまでスポーツセンターを利用されなかった層に対しても事業を充実し、新たな利用者の拡大を図ってまいります。
また、「みる」スポーツとして、スポーツ大会やイベントを開催するとともに、プロスポーツの試合の誘致や公開練習などで、トップアスリートの高い技術水準に触れる機会をつくることで、スポーツへの関心を高めてまいります。
「支える」スポーツとして、ボランティア養成講習会や研修等で、各種大会やイベントを支えるスポーツボランティアの育成を図ってまいります。特に、先日開催されました国体では、スポーツボランティアによる受付や会場整理が行われました。国体のスポーツボランティアの取り組みを生かし、さらなる担い手の育成に取り組んでまいります。
◯委員(赤坂大輔君)
白井課長にご答弁いただきましたけれども、よろしくお願いします。
先日もテニスコートが破れていましたら、迅速に直していただきまして、これを機にオムニコートをやめてしまえばという話をしたら、にっこり笑っていましたけれども、ただ、オリンピックが招致されまして、私の言うとおりになりました。テニスコートは認められません。オムニコートは国際基準でだめです。16面のオムニコートは今のところ全部かえる意向になっています。それについては私の言うとおりになっています。戦いはまだ続いていますけれども。
教育費に関しまして、私も区民文教常任委員会に所属していますので、その当該委員会で申し上げたことは繰り返して申すつもりもないのですけれども、多くの方々から、先日私が申し上げた発言について質問をいただきましたので、公の場でもう一度私の見解を申し述べたい。
幼稚園の3歳児保育のことについてです。3歳児受け入れ拡大は、約1年前に全会派一致でやりました。私は利益誘導を一切しませんけれども、当時該当していたのは私でした。公立幼稚園に通わせている保護者は、多分今33人の議員の皆さんの中では私しかいない。3歳児に該当していたのも私でした。抽せんに落ちたのも私でした。しかしながら、物は考えようだという話はしました。ただ、それなりのネットワークというか、ママ友ができていて、遊ぶメンバーが固定化されている中で、この地域柄、なかなか遊ぶ子が見当たらないということもあり、幼稚園には入れようかということで、抽せんになりまして、落ちました。補欠でしたが、そのとき私が考えたことは、4歳には間違いなく入れるのだろうと思っていました。がゆえに、4歳までに入れる計画を立てていたのですけれども、4歳で入れないというような事態が、この前4月に起こった。当時うちの子の友人たちが落ちていて、中之町幼稚園に入れなかった。結局4歳でも入れなくて、補欠でも多分回ってきそうにもないので、麻布幼稚園に2人とも行きまして、何となくこれで疎遠になってしまいました。今、中之町幼稚園の現場でこのようなことを言うこともあれですけれども、今後問題になるなと。このような事態になって、4歳でも入れないとなってくると、PTA会長を決めることすらいろいろ困るようになっている。下の子が4歳になったら確実に入れるとなったら、PTA会長を受けられるけれども、これはどうなるかわからないとなると、計画の立てようもないということで、非常に現場も困っている。
私も4歳から幼稚園に入りましたが、もちろんこれは大きな流れでいうと、私も幼稚園に関わる父親として、幼稚園の受け入れを増やしてほしいです。ただ、保育園が喫緊の課題だと言う方もおれば、特別養護老人ホームだと言う方もおれば、さまざまな意見ある中で、限られた予算の中で我々はやりとりしているということを忘れてはいけなくて、民意だから、皆様の声を届けますなど、メールかファクスのような議員も多いですけれども、そうではなくて、要望を断ることのほうが多いなということが、我々議員をやっていて実感としてあるのですけれども、むやみやたらに3歳児をというような言い方は私はしていませんけれども、4歳児が入れなくなる可能性があるということすら示してくれることなく、3歳児を増やしていたということにのっていた私を含め、皆さんがどう思っているかわかりませんけれども、何の全会一致だったのかということが私の中の偽らざる気持ちで、3歳児を増やしてほしいという方について、私もそう思っていましたから、どうのこうの言うつもりもないですが、ただ、4歳児まで入れなくなるということは、4歳児が入れなくなりましたというお母さんたちの反応を見ると、一様に諦めです。3歳のときは残念という落胆。4歳になると悄然として去っていくような感じでしたけれども、このような展望を教育委員会が今までバランスがとれた流れでやられていたと思うのですけれども、1年前の熱に浮かされた感じは一体何だったのですか。4歳児が入れなくなるなど、そのようなことはあり得ないと私は実際に思っていまして、先ほども山本課長の答弁でもありましたように、子どもの数が増えたということもあるのでしょうけれども。小学校に入学することを考えて4歳、5歳からは幼稚園に入園すべき。3歳はまだいろいろ月齢によってありますから、私の子も実は3歳のときは補欠になっても、おむつがとれていなかったので、ちょうどいい準備期間かと思っていました。3歳まではいいのですけれども、4歳が入れないということは問題です。4歳児が入れないという事態が実際に惹起したわけですから、教育委員会の方々もぜひそのバランスも考えていただきたい。間違いでしたね、その部分は配分が。我々も考察が足りなかった、私ももちろんそうです。さまざまいろいろ意見が出ていますけれども、私の意見はそのようなことなので、さまざまな誤解を与えたことですけれども、私の考えはこのようなことだとご披瀝して、質問を終わります。ありがとうございました。
まず、拝聴していまして、いろいろストレスがたまりました。間違いなく言えることは、私には、あくまでも日本を日本たらしめてきた伝統というものを保持したい、保守したいということが骨の髄から濃厚にあるということです。これを日常に持ち込んでしまうということです。
先ほどからよく歴史や伝統を守る、歴史と伝統を大事にしてと、多くの方がおっしゃっておりますが、それらは大体伝統工芸や民俗文化であるに過ぎないわけです。それらは何の伝統でもない。何を話し出すか、だんだんつながってきますから聞いていてください。
何をもって伝統とするか。例えばイギリスに行きますと、裏の野山で白鳥がとれたら、日本の宮内庁のようなところに電話して、許可をとらないといけない。なぜかというと、それはエリザベス女王のものだから許可を得なければいけない、そのような風習はいつからの伝統で、いつから続いているのですか、と問いますと、12世紀からですとイギリスの方は胸を張って答えます。伝統というものは、長く続けば続くほど尊いものであって、民意や人気に委ねるものでもないです。流行、風俗に委ねるものでもないです。
日本最長の伝統、すなわち世界最長の伝統とは、2673年125代続いている天皇家の歴史です。皇室です。皇統です。125代続いているということが、125代ではないのではないか、2673年ではないのではないかという学問上の話は後にしておいてもらって、これが国家の公式見解なのだということをまず教えなければいけないです。それがないと、茶道にしても、華道にしても、書道にしても、何もかも大もとが成り立たなくなってくるわけです。
今、式年遷宮といって、伊勢の神宮でやっていますけれども、その祭り主は男系女子の今の池田厚子様、天皇陛下のお姉様です。ご高齢なので、天皇陛下のご長女の黒田清子さんがやっています。必ず伝統にのっとってやっている。賢所で天皇陛下がお祈りしている。正月は四方拝、春分の日は春季皇霊祭、秋分の日は秋季皇霊祭、勤労感謝の日は新嘗祭、体育の日以外は宮中祭祀と絡み合っているわけです。
11月23日にうちに帰ったら、お父さん、いつもお仕事お疲れさま、きょうは勤労感謝の日ですと、そのような主旨ではないのです。宮中祭祀の大祭である新嘗祭がその日。誰が誰に何をお祈りする祭りなのかということは認識したほうがいい。神嘉殿にて天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇に奉られ、御親らも聞こし召される祭祀です。そのようなことがわからなくて、ただの勤務者、労働者の休みだと思っているから、11月23日の祭日は5月1日のメーデーでもいいのではないでしょうかと言う自民党の議員もいたのです。全然成り立ちが違うわけです。
よく男系、女系というと、赤坂さんのうちは男の子が多いから男系と言う、それは間違いです。男系、女系とは、父方、母方のことです。125代ずっと男系継承でやってきた。皇室典範第1条に、天皇は男系男子しかなれないと、これは女性差別だと言う人がいるけれども、間違いです。第15条には、男性は皇族になれないと書いています。民間の男性は絶対に入れないという血の重みです。これがこの系譜です。この系譜でずっと成り立っている。お父さんのお父さんのお父さんのお父さんをたどると必ず初代にいく。これこそが血統者としての重みなわけです。
一般民間人の相続とは財産権が絡むから、婿養子でもいいし、他家に嫁いだ女性でも有資格なのです。皇室の場合は、祭祀、祭り主なので、祭祀の有資格者だけが継ぐのです。ですから、今上天皇陛下が畏れ多くもご崩御あそばしたら、皇太子殿下がご即位あそばします。そこで次代の天皇陛下はお父さんのお父さんのという、皇祖・高宗、神武天皇までの今上陛下を入れて126方のことをお祈りするわけです。母方の正田家のことや奥様の小和田家をお祈りしない。その二家は我々の家と同じという扱いです。これをまずわかった上で、みこしもかついでもらいたい。伝統文化というものの重み、そのようなものは純粋培養された水とは全然違います。血のにおいにむせ返るような歴史を経てやってきているわけで、相当な重みがあるのだということを認識していただきたい。
我々の父、母は2人いて、祖父、祖母が4人いて、その上は8人、その上は16人、32人、64人、これを計算していくと、20代前に100万人超えるのです。25代前には3,355万4,432人、27代前は1億3,421万7,728人、今の人口より多くなる。明治までは3,000万人しか人口がいないわけですから、我々は男系・女系合わせて25代前までたどると必ず親戚です。必ずどこかで血がつながっている。
しかし、一切血を交えなかった、民間の男性を一切排除してきた男系継承の方々が今の皇族です。ですから、愛子様が天皇になっていいと思いますかという質問に対するベストアンサーは、何を言っているのですか、愛子様は伊勢の神宮の祭主になられる方でしょう、これがベストアンサーです。文化とは男女差別とは何も関係ないです。
朝青龍が左手で懸賞を受けた、これはだめなことです。神様からのいただき物は左でとってはいけない。これはサウスポーを差別しているわけではないです。ただし、土俵という結界に入ったら、神道の形式に倣ってもらわなければいけない。日常と非日常は違うということです。
そのようなこともいろいろ話せば長いのです。比叡山延暦寺に行きますと、不滅の法灯があります。1224年前から一度も炎が消えたことがない。この前地震があったときに、これをランプにしようという意見があったのですが、とんでもない話で、毎日菜種油を積み重ねてきた1224年の歴史をなくしてしまうことです。世界最古の建築物である法隆寺が、木造建築物だから意味があるわけであって、それを鉄筋にしましょうといったら意味がなくなるわけです。伝統とはそのようなものです。
しかし平成17年、8年前の有識者会議で、皇位継承は女系すなわち母方継承でもいいという結論が出たことを覚えていますか。全部で17回の会議、都合30時間、今の決算特別委員会と同じぐらいの時間でです。2673年とは私も少し懐疑的なのです。ただし1500年以上続いていることは間違いない。それを変えましょうと言うのです。父の父の父の父のとやる1本だけが皇統である。我々ですら、父の母の母の父の父の母のとやると必ず皇統に行くのです。しかしながらそれは男系とはいわず、雑系です。皇族には姓も苗字もない。民間の男性を入れないからです。民間の男性の血を交えなかったからこそ皇統の意味があるわけであって、愛子様が、畏れ多くも私の子と結婚したら、その子は赤坂家の内孫です。その子が田中さんと結婚したら田中さんです。その子が鈴木さんと結婚したら、母の母の母の父で初めて天皇陛下に行きつくと、我々の家系と変わらなくなるわけです。
民意に委ねたら、伝統ではないのです。これを有識者会議で変えようとした。座長は吉川弘之さんという方でした。この人はロボット工学の専門家なのです。10人の有識者会議、私はいつも手帳には名前を書いていますけれども、このような人たちを本当に許せなくて、この人たちは日本の伝統を絶やそうとしたのです。2673年、125代連綿たる皇室の伝統は、国家公式見解です。2番目に長いものはローマ法王で、3番目はデンマーク王室、4番目はイギリス王室です。日本が最長の伝統であるのにもかかわらず、最新の流行にしようとした人たちがいる。吉川弘之さんを座長とする有識者会議メンバー。全17回のうちにフル参加したのは1人だけで、ほとんどの人が休みに休んでいる。ロボット工学の人を座長にして結論を出した。それが女系すなわち母方でいきますということです。
私も、仮に皇統が女系で続いていたら、女系でやるべきと言います。男系でやってきたら男系でやらなくてはならない。それが伝統なのです。そのようなことに興味がない人は議論に加わらなければいい。有識者会議の人たちの意向によって、幾らでもそのような伝統が変えられるという恐ろしさを私たちは知りました。
それで、本題に入ります。港区立新郷土資料館の開設が近い。私も歴史について思いをいたす。開設準備委員会の委員のメンバーの選定とはどのようにされているのか。結論から言うと、近代史学の大門正克さんという方は、学会で有名な反日史観の持ち主でしょう。どのように選定されたか。
◯図書・文化財課長(前田憲一君)
新郷土資料館の展示等を計画するため、学識経験者7名ほかから成る開設準備委員会を組織いたしました。委員会では、新郷土資料館設置の目的、機能、展示計画、事業計画などについてご議論いただきました。委員のうち学識経験者の選定につきましては、港区の歴史や民俗に詳しい方、あるいは港区の歴史、民俗系の展示計画をつくり上げるために必要な分野の方々から、最近の展示法に対する考え方、あるいは展示構築や運営の実績、経験を重視し選定いたしました。
教育委員会といたしましても、新郷土資料館の展示等は教育委員会が主体となり、組み立てていくものと考えてございます。今後展示の基本設計等は開設準備委員会のみならず、多くの方々のご意見等を参考にして作成にあたりたいと考えております。
◯委員(赤坂大輔君)
さまざまな方々の意見を聞きながらやるということは、有識者会議でも言っていたのです。有識者会議とは先ほど言った皇室典範改悪のです。このときはさまざまな方が意見を言いました。皇族の方々からも、女系はやめてくれという意見がありました。
先だってご薨去されました寛仁親王殿下も、そのお父君である昭和天皇の弟君であらせられる三笠宮殿下も、そして寛仁親王殿下の長女、次女であらせられる瑶子女王、彬子女王もみんな女系はだめですと、我々は男系すなわち父方継承でやってきた家ですと、女系では民間と変わらなくなってしまいますとおっしゃいました。あのタイミングでご懐妊された秋篠宮家には明らかな意思を感じます。私は別にイデオロギーの話をしているわけではないです。ただこの新郷土資料館は余りにも偏っているのではないかということです。おかしい文言は幾つもあり、私は26見つけましたけれども、ここで申し上げると時間がないので、2つだけに絞ります。さまざまな考えの方がいらっしゃることは私もわかります。ただ、皇統に関してはさまざまな意見はありません。さきの大戦におけるさまざまな考えはあるでしょう。ただ、そちらの意見を言うのだったら、こちらの意見も言わせてくれということです。真ん中でやってもらいたいということです。
そもそもアジア・太平洋戦争という文言は、このような文言はここ二、三十年のはやりみたいなもので、これをひな形にしてやられた場合、多くの方が気づかないで、アジア・太平洋戦争はこの前の戦争だと思うのではないですか。さまざまな立場から言いますと、私は裁判規範上も行為規範上も罪刑法定主義上も、さきの大戦における日本は何一つ間違えたことがないということが私の見解です。ただ、歴史ですから、これからいろいろな証拠が出てきたらわかりません。私が3つ出した観点において、私を論破できた日本人に私は会ったことがないので、まだ私はそう思っています。
アジア・太平洋戦争に加え、もう一つ例を挙げます。外国人の受容と排除、これは小テーマにあります。その辺の文言は非常に危うい。事前に申し上げますと、大東亜戦争とは、昭和16年12月12日に閣議決定された正式な名称です。しかしながら、戦争に負けたときにGHQからその使用を禁じられまして、検閲されて太平洋戦争に書きかえられた、それが定着したものです。しかしながら、太平洋戦争というと、アメリカとだけやっていたように思われるから、アジアの人々に対する贖罪意識を涵養できないということで、アジア・太平洋戦争を提唱した先生方がいて、私もイメージしていたけれども、読むとそれなりの観点でおっしゃられているけれども、観点がどだい最初から違っているので間違えていると私は思っているのですけれども、アジア・太平洋戦争という、このようにイデオロギー色の強いものをこのように出すということが、ありていに判断してもらう材料となりえますか。
◯図書・文化財課長(前田憲一君)
展示構成案のうちの主に近現代を扱うテーマ展大テーマIIIを構成する中テーマの趣旨及び小テーマの名称に、アジア・太平洋戦争という言葉を用いてございます。アジア・太平洋戦争という言葉につきましては、戦域が太平洋域にとどまるものではなかったことを示す表現として使わせていただきました。
◯委員(赤坂大輔君)
そのようなご認識なのでしょうけれども、この名称には特定の意図がありますから、この名称はやめていただきたい。
もともとこの名称を使った意図が、日本だけが悪いという意図のもとです。そして、この方が所属されている歴史学研究会という学会があるのですけれども、これは世界史的な立場に立って歴史を俯瞰する。そもそも世界史的な立場では日本史は俯瞰できませんから。共通認識は持てないという立場に私はいますから。この人たちの声明はいろいろあります。例えば朝鮮人学校への無償化阻止をやめろなど、私が見ると目がくらくらするような主張ばかりされていまして、最近では慰安婦問題に関しても発言があります。慰安婦問題とは簡単なことです。私が言う必要もないです。別にここで披瀝するつもりはありませんけれども、何で日本だけが全部賠償しなければいけないのかと。お金を出すのですか、認めろ認めろと言う人に限って、この前飲み会に行っても全部割り勘だという話をしましたけれども、けちな人に限って、日本の財布から出ていくことに関しては無頓着なのです。非常に偏った学会、皆さんから見ると、私も偏っているのですか。
両極端なのですけれども、間違いなくこの方は特定の意図を持った学会に所属していますし、特定の意図を持った語句の使用をしているということで、再考願いたい。
もう一点、外国人の受容と排除という文言について、これも質問通告していますが、いかがでしょうか。
◯図書・文化財課長(前田憲一君)
総合計画の大テーマIIIを構成する中テーマ「国際化に見る港区の近・現代」の小テーマとして、「外国人の受容と排除」という展示を考えてございます。これは、主として幕末の開国直前と開国後間もないころの様子に焦点を当てた展示の名称として用いてございます。開国前後、外国人を受け入れる下地のあった土地、地域があった一方で、初手からこれを拒む土地などが存在したことを端的に示す表現として用いてございます。
◯委員(赤坂大輔君)
甚だ浅薄で聞くにたえない。外国人のことを受容したことなど日本は一回もありません。福沢諭吉などがここに載っていますけれども、福沢諭吉は最高純度の攘夷論者です。開国して攘夷すると言っているのです。何をもって受容なのか、何をもって排除なのか、今、開国している、今ですよ。
この前も、通りをアベニューにするなど、通りは英訳できないでしょう。例えばトイレ、日本には、せんちん、はばかりなど、16の和歌にも使われる和語がありましたが、今は全てトイレで統一されました。ラブもそうです。キスなどもそうです。全て統一して、このような文化の崩壊状態を私は開国と言うのだろうと思うのだけれども、江戸時代は受容などしていませんし、軍事的に排除したいと思っていたのか、精神的に排除したいと思っていたのか、精神的に外国の文化を受け入れようとしていた人などいないです。余りにも歴史に浅薄過ぎる。
歴史というものはもう少し複眼視して、いろいろな多極の面から見てもらわないと。内藤副区長とよくそのような話をしたので。内藤副区長の内藤家は幕臣なのです。やはり私も五稜郭で先祖が戦いまして、しかし江戸でやってもらいたかったよね、あの話。何で戦わなかったのという思いはすごくある。福沢諭吉など、260年間あった武士道を廃れさせたものは無血開城した勝海舟だと言う。やなざわ委員がおっしゃられたのですけれども、一面から見ると、そこは平和なのだけれども、長い歴史で見ると、そうではないなど、がゆえに勝てば官軍、何で会津はあそこまでやられなければいけないのか、そのような部分が全く抜けてしまう。外国人の受容と、恐らく何を書かれるかということは大体私はわかります。このようなことがありましたと。イギリスの公使館がそこにあってなどという話になるのでしょうけれども、この話はやめますけれども、浅いというか、一面から見過ぎて、歴史に取り組むということは本当に恐れ多いことだということがわかっているのか、わかっていないのか、伝統文化を大事にしましょうなどとよく言えるなという思いがしています。
次の質問に移ります。新スポーツセンターについてお伺いしますけれども、いよいよ皆様の期待のもとに新スポーツセンターができる。用途についてさまざまな意見がありましたけれども、オープニングセレモニーの計画があるのかどうか。そして、計画後にオリンピックの招致も決定しました。新たなさまざまなニーズが出てくる。既存の利用者のみならず、新たな利用者、開拓の工夫について、あとスポーツはやるだけなくて、やはり見ることや支えることなど、このような部分での要素も多々ある。その辺の充実強化策について3つお伺いします。オープニングセレモニーの計画について、新たな利用者開拓の工夫について、見る、支えるの充実強化策についてお伺いします。
◯生涯学習推進課長(白井隆司君)
新しいスポーツセンターのオープニングセレモニーの計画につきましては、現在関係する団体と検討を始めております。バレーボールやバスケットボールのトップチームから、教育委員会が直接参加の意向なども受けております。次期の指定管理者候補者からは、選考の過程で、トップアスリートによるイベントの提案を受け、一般財団法人港区体育協会や公益財団法人港区スポーツふれあい文化健康財団からもさまざまな提案をいただいております。
今後区内随一のスポーツ拠点の開設にふさわしいオープニングセレモニーとなるよう検討してまいります。
新たな利用者の開拓の工夫についてですが、港区の人口の特徴である子ども、子育て世代、高齢者をターゲットに、幼児から始めるスイミングなどの子どものプログラム、ベビーアンドマミーヨガなどの子育て世代のプログラム、トレーニング機器を利用した高齢者のプログラムなど、これまでスポーツセンターを利用されなかった層に対しても事業を充実し、新たな利用者の拡大を図ってまいります。
また、「みる」スポーツとして、スポーツ大会やイベントを開催するとともに、プロスポーツの試合の誘致や公開練習などで、トップアスリートの高い技術水準に触れる機会をつくることで、スポーツへの関心を高めてまいります。
「支える」スポーツとして、ボランティア養成講習会や研修等で、各種大会やイベントを支えるスポーツボランティアの育成を図ってまいります。特に、先日開催されました国体では、スポーツボランティアによる受付や会場整理が行われました。国体のスポーツボランティアの取り組みを生かし、さらなる担い手の育成に取り組んでまいります。
◯委員(赤坂大輔君)
白井課長にご答弁いただきましたけれども、よろしくお願いします。
先日もテニスコートが破れていましたら、迅速に直していただきまして、これを機にオムニコートをやめてしまえばという話をしたら、にっこり笑っていましたけれども、ただ、オリンピックが招致されまして、私の言うとおりになりました。テニスコートは認められません。オムニコートは国際基準でだめです。16面のオムニコートは今のところ全部かえる意向になっています。それについては私の言うとおりになっています。戦いはまだ続いていますけれども。
教育費に関しまして、私も区民文教常任委員会に所属していますので、その当該委員会で申し上げたことは繰り返して申すつもりもないのですけれども、多くの方々から、先日私が申し上げた発言について質問をいただきましたので、公の場でもう一度私の見解を申し述べたい。
幼稚園の3歳児保育のことについてです。3歳児受け入れ拡大は、約1年前に全会派一致でやりました。私は利益誘導を一切しませんけれども、当時該当していたのは私でした。公立幼稚園に通わせている保護者は、多分今33人の議員の皆さんの中では私しかいない。3歳児に該当していたのも私でした。抽せんに落ちたのも私でした。しかしながら、物は考えようだという話はしました。ただ、それなりのネットワークというか、ママ友ができていて、遊ぶメンバーが固定化されている中で、この地域柄、なかなか遊ぶ子が見当たらないということもあり、幼稚園には入れようかということで、抽せんになりまして、落ちました。補欠でしたが、そのとき私が考えたことは、4歳には間違いなく入れるのだろうと思っていました。がゆえに、4歳までに入れる計画を立てていたのですけれども、4歳で入れないというような事態が、この前4月に起こった。当時うちの子の友人たちが落ちていて、中之町幼稚園に入れなかった。結局4歳でも入れなくて、補欠でも多分回ってきそうにもないので、麻布幼稚園に2人とも行きまして、何となくこれで疎遠になってしまいました。今、中之町幼稚園の現場でこのようなことを言うこともあれですけれども、今後問題になるなと。このような事態になって、4歳でも入れないとなってくると、PTA会長を決めることすらいろいろ困るようになっている。下の子が4歳になったら確実に入れるとなったら、PTA会長を受けられるけれども、これはどうなるかわからないとなると、計画の立てようもないということで、非常に現場も困っている。
私も4歳から幼稚園に入りましたが、もちろんこれは大きな流れでいうと、私も幼稚園に関わる父親として、幼稚園の受け入れを増やしてほしいです。ただ、保育園が喫緊の課題だと言う方もおれば、特別養護老人ホームだと言う方もおれば、さまざまな意見ある中で、限られた予算の中で我々はやりとりしているということを忘れてはいけなくて、民意だから、皆様の声を届けますなど、メールかファクスのような議員も多いですけれども、そうではなくて、要望を断ることのほうが多いなということが、我々議員をやっていて実感としてあるのですけれども、むやみやたらに3歳児をというような言い方は私はしていませんけれども、4歳児が入れなくなる可能性があるということすら示してくれることなく、3歳児を増やしていたということにのっていた私を含め、皆さんがどう思っているかわかりませんけれども、何の全会一致だったのかということが私の中の偽らざる気持ちで、3歳児を増やしてほしいという方について、私もそう思っていましたから、どうのこうの言うつもりもないですが、ただ、4歳児まで入れなくなるということは、4歳児が入れなくなりましたというお母さんたちの反応を見ると、一様に諦めです。3歳のときは残念という落胆。4歳になると悄然として去っていくような感じでしたけれども、このような展望を教育委員会が今までバランスがとれた流れでやられていたと思うのですけれども、1年前の熱に浮かされた感じは一体何だったのですか。4歳児が入れなくなるなど、そのようなことはあり得ないと私は実際に思っていまして、先ほども山本課長の答弁でもありましたように、子どもの数が増えたということもあるのでしょうけれども。小学校に入学することを考えて4歳、5歳からは幼稚園に入園すべき。3歳はまだいろいろ月齢によってありますから、私の子も実は3歳のときは補欠になっても、おむつがとれていなかったので、ちょうどいい準備期間かと思っていました。3歳まではいいのですけれども、4歳が入れないということは問題です。4歳児が入れないという事態が実際に惹起したわけですから、教育委員会の方々もぜひそのバランスも考えていただきたい。間違いでしたね、その部分は配分が。我々も考察が足りなかった、私ももちろんそうです。さまざまいろいろ意見が出ていますけれども、私の意見はそのようなことなので、さまざまな誤解を与えたことですけれども、私の考えはこのようなことだとご披瀝して、質問を終わります。ありがとうございました。