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議会活動

平成24年第1回定例会予算特別委員会土木費

要旨

1 プレイパークについて
 ――「安全」に「冒険」ができるように――など二律相反する概念を期待する親の認識こそがトラブルの元凶だ。現場でも「これしちゃダメ、あれしちゃダメ」という干渉する親の声が飛び交い過ぎ。子供から過保護な親を引き離す工夫を
2 フラワーランドについて
3 その他

全文

◯委員(赤坂だいすけ君)
プレーパークについてお伺いいたします。子どもを持つ親として、この世で最愛の存在は何かと聞かれて、我が子と言わない人はいないわけです。その我が子に、唯一無二なる我が子に期待することは、強くなってほしい、たくましく生きてほしいということに収れんされることに異議を挟む人というのは、よっぽどではない限りいらっしゃらない。勉強ができてほしいだとか、運動神経がよければいいだとか、金持ちになってほしいなど、そんなことは二の次、三の次なわけです。
 そのような親の原始的な、プリミティブな切なる願いと、社会が子どもに期待する理想の子ども像というものがあまりにも乖離しているということが現代の子育てをしている親たちの悩みです。社会が要求する理想の子どもとは、歌を元気に歌い、いつも笑顔で、友達と仲よく、順番を守り、貸してと言ったら貸し、あと、何がありますか。要するに、親の言うことを聞き、おじいちゃん、おばあちゃんを大切にし、地域の方々が昔遊んでいた遊びに興味を持って、一緒になってめんこやかるた、ベーゴマなどをしている、そのような子どもは北朝鮮の国営放送にいくらでも出てくるわけです。
 そんな子どもは、親が願うようにたくましく、しなやかに育つことはないと私は思っている中において、再三、子ども目線での遊び場をつくっていただきたいということを申し上げてきました。今行われている高輪森の公園、そして、芝浦のプラタナス公園で行われているプレーパークに強く賛同するものでございますし、そこに行きますと、本当に職員の方々、そして多くの課長の方々が童心に返って子どもと一緒になって遊んでいるのを見ると、本当に微笑ましく、うれしく思ってはいるんです。
 ただ、現在は社会の子どもに対する許容量というものが極度に低下しております。大体、子どもがやる遊びというのはうるさいし、汚いし、危ないし、普通に生活する中では耳障り、目障りなことが多いということを社会が許容できないという、戦後、外国から見て子どもの天国だと言われてきたこの日本が危機的な状況にあるわけです。それで、このプレーパークという試みを賛同します。というのを繰り返していますね、私。時間ないのにね。
 要するに、今度3月にもやりますけれども、プレーパークをやっているときに、ふだんやっていないときは普通の公園だということはわかりました。このプレーパークにどれぐらいいらっしゃっているかということと、あと、どのような声が区民から寄せられているのかというこの2点をまず伺います。

◯高輪地区総合支所まちづくり担当課長(杉谷章二君)  高輪森の公園での昨年12月4日日曜日に実施しましたプレーパークでは、親御さんなどを含め、約500名、翌日の12月5日月曜日には、平日でしたが約150名の参加がございました。
 次に、お尋ねの参加者の意見等でございますけれども、参加した子どもたちは、楽しい、おもしろいと目を輝かせ、時間も忘れて遊び続け、2日間続けて来る子どもたちも多くいました。親御さんへのアンケートや直接聞いた意見、感想としましては、「遊びに夢中で没頭する子どもたちに驚いた、ふだんできない遊びができた、地元で育った私も子どものころこのような遊びができるところが欲しかった、継続して開催してほしい」などの声がありました。
 また、一方、「ぜひ運営に参加したい」と関心を示す親御さんも出てきております。区としましては、改めて子どもたちが伸び伸びと遊べるプレーパークの必要性や住民参画の意識の高さを痛感しております。

◯委員(赤坂大輔君)  ありがとうございます。プレーパークに関しては、東京でいろいろなところを回りました。私、子どもが産まれる前から、子どもが伸び伸びと、強く、たくましく育つにはどうすればいいかということを、スーパーコンピューター並みにさまざまなシミュレーションをして、問答集ができるぐらいに考えていました。そこで、一つの結論に達しました。結論です。よく要望など言いますが、結論です。「かもしれないな」とか、「だと思いますよ」ではない。「だ」です。これをいよいよ皆さんに披瀝しようかと思っているわけです。
 これは、言われてみると、「何だ、そんなことか。わかっていたよ」と言うのですけれども、実現にはよっぽど遠い、よっぽど困難があります。それは、大人がその場所にいちゃいけないということです。子どもの場所に大人がいちゃいけないということです。
 それで、私、さまざまなシミュレーションを組み立てた結果、この根拠については後ほど聞いていただければいいですが、せめて5分の1以下に大人の数はした方がいい。でないと、子どもが子どもの頭で考えることができなくなる。子どもが子どもでルールを考えることができなくなる。子どもが子どもで、こいつは卑怯なやつだと思う、子どもならではの、いい制裁というのはよくないですけれども、そんな制裁。要するに、泣くことで大人の喚起を、注意を引いて大人に怒ってもらうことでプレゼンスを上げるという卑怯な子どもというのは、子どもの社会では排除されるのですけれども、大人の社会では許容されるわけです。もろもろ言いましたけれども、大人の数は5分の1以下にしなければいけない。
 ですから、子どもの遊び場に大人がいない方がいいというところから導き出されること、それについて反論ある方いらっしゃったら、私とぜひ話をしてみて、私の今までの道程を見れば、とても反論できなくなりますから。そのことについて、まず、立入禁止にすればいいんです。立入禁止にすればいいのですが、それは無理だと。プラタナス公園や高輪森の公園に、大人が横で遊べるようにすればいい。遊べるというか、歓談する場所を設ければいいと私は思うんです。
 とにかく、私が行った日が悪いのかもしれないんですけれども、これしちゃだめ、あれしちゃだめと言う人が目について、卑近な例ですけれども、それ、うちの女房ですよ。「危ない」とか、「それ、だめ」などと言うんです。だから、「危ないことをしに来たんだろう」とか大きい声で言うと、周りのお母さんたちも、「ああ」などと気づくようなムードもあったので。とにかく女房を、私はどこかでコーヒーでも飲ませる場所ないかと思って連れて行くんだけれども、女房すぐ戻って来るんですよ。それで、探したら大人がくつろげるようなスペースが横にあるんですよ。そこに行かせたら、幼稚園のお母さんと女房は会ったから話し始めて、ようやく子どもは子どもだけで遊んでいました。だから、工夫して大人が集えるスペースをつくっていただいて、なるべく大人と子どもは引き離したい。大人の言うことを聞く子がいいだとか、親の言うことを聞く子がいい、そんな子は親以上になりませんから。結論です。
 少し女房の話をしてしまいましたが、今度、フラワーランドの話なんですけれども、基本的に、これは私、反対なんです。まず、フラワーランドってどのような概念なのか、どのような意義でやっていらっしゃるのか伺います。

◯芝地区総合支所まちづくり担当課長(横尾恵理子君)  フラワーランド事業の目的は、潤いと安らぎを感じることができる魅力あるまち並みを目指すものです。事業内容は、人通りの多い通りや公園、公共公益施設の周辺などに、1年を通じて四季折々の花が楽しめるように、毎年継続的に季節の草花を植えつける事業です。
 事業の実施にあたっては、区民や事業者の皆様の参加と協力をいただくアドプト・プログラム等も活用しております。

◯委員(赤坂大輔君)  私、反対というか、全面的に反対なわけではないんですけれども、これは私の説なんですけれども、これも皆さん、私の説だから間違えているかもしれませんので、引用しない方がいいと思いますが、人間というのは、人間が好きなんです。でも、そのエナジーにやられちゃうと、今度は動物を好きになるんです。動物のエナジーにも負けちゃう、そうなると、植物に行くんです。植物にも負けちゃう、今度は鉱物に、石などに行くんです。私のおじも、「この石はすばらしいぞ、大輔」などと言ってましたけれども、今、八十幾つなのですけれども、最後は石にいく。
 この前、私、猫おばさんの話をしました。人間よりも猫が大事だという人は確かにこの世の中いるのです。かつて徳川綱吉のときにお犬様というのがあったぐらいに、犬が人間以上のレベルになったおかしい時代もあった。今、植物がそのような時代に入っていまして、花を取ろうものなら人非人のような目で見られるわけです。
 子どもを連れて外に行きます。公園に行きますと、犬がたくさんリードを放されているから、もう怖がって遊べないのです。木に登らせたら、今度は、「公園で木に登っていいとお思いですか」とおかしい大人に言われるわけです。子供が蝶々を追っかけていると突然花のエリアがあり、横切ったことで怒られる。
 次に、子どもが「これ、きれいな花だ。ママにあげよう」と言ってちぎったら、40代の赤い服を着た、犬を連れたカップルが血相を変えて、「花をこんなに切るなんてひどい」などと横で言っているから、子どももそれを聞いて、そのようなことをしちゃいけないのかと思うわけです。私は言うのです。「花は人間のためにあるし、人間がいなきゃ花なんか咲かないんだ。だから、きれいだと思うなら取っていい」と。子どもに、「パパもママに花をあげるよ」と言って、先ほどのカップルが踏んでいったタンポポを摘むわけです。私は、果たして悪いことをしていたのかという思いにとらわれて帰るわけです。
 ぜひ、今、青山公園等でも、趣味だと思うのですけれども、人様によかれと思っているのか、エゴなのか、私は言いませんけれども、さまざまに花壇ができて、今までサッカーをしていた場所もできなくなっているわけです。警鐘を鳴らす意味で、花があるとそこが立ち入り禁止のタブー、聖域になってきているというのが現実的にあるので、少しその辺の事例を上げて、皆様の意識を喚起していきたいなと思っております。
 以上です。相変わらずのアドリブでの質問ですが、御清聴ありがとうございました。