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議会活動

平成29年予算委員会

総務費 要旨

1 今後期待される平和事業関連の反日史観是正について

全文

◯委員長(杉本とよひろ君)

 次に、赤坂委員。



◯委員(赤坂大輔君)

 よろしくお願いします。久しぶりの登場ですけれども、よく街場では、「大ちゃん、最近元気ないね」なんて言われますけれども、私も中年ですから、43歳です。「元気!!」とか、普通に生活していたらそんな43歳いませんからね。

 前もここで言いましたけれども、おかしなこと。選挙に行かない人のことについていずれつなごうと思っていますけど。

 女房が「きょうのスープはおいしいはずよ」と言うから、見たら、門外不出のスープと書いてある。女房がピーコックで買ってきたと。門外不出のスープというのは、ピーコックで売っていません。門外不出ですから。

 あと、町会にも入りたくない。親戚づき合いも嫌だ。近所づき合いも嫌だ。でも、孤独死はしたくないとかね。無理ですよ。

 あと、新橋で置き引き注意、スリ注意というチラシを配っている人が、手荷物を盗まれたりしていました、この間。

 この間、暴行事件があり、上司を殴った部下がいて、事の発端は何かと言ったら、無礼講を勧める上司が気に食わなかったと言って、無礼講は嫌だと言って、殴ったりしている。何もつじつま合ってないですよね。わかりますか。

 選挙は行かないけど、政治に参画したいという方が多数いる。一定多数、全然減らないです。選挙は行かないけど、政治に参画したい。これはおかしな話ですよ。総務費では何人かが、投票率が上がっていないということを、選挙管理委員会事務局長に聞くということを一時期はやっていましたけれども、今回はありましたか。

 前回も私言いましたけれども、行かない人が悪いんだと。ケツをまくれないかな。そろそろその段階に来ているのではないかと思います。

 私もいろいろな方と話しまして、選挙に行きたくない方、例えば、障害があるとか、ベッドの上で動けないとか、そういう方に対してはいろいろ配慮されているわけじゃないですか。ベッドの上で投票できたりとか、さまざまな工夫がされています。

 選挙に行きたくないという方は、大体3つに分類されるなと私感じています。1つ目は面倒くさい。2つ目はよくわからないし、行っても変わらない。3つ目は政治不信。政治家が悪いことをしているから嫌だ。大体この3つに分類されます。

 新人の方、何人かいて、インターネットを通じて、きのうもメッセージを届けたみたいな。インターネットで人気取りしようとされているようですが、私はインターネットを通じて敵をつくろうとしていますから、選挙に行かない人は相手にしなくていいということをあえて言いたいと思っています。

 1つ目の、面倒くさいという人ですけれども。投票所は、今四十幾つあるわけでしょう。幾つでしたか。41。41もあるとすると、徒歩15分圏内です。それを面倒くさいと言っている人は、相手にしなくていいと思います。

 2つ目の、よくわからないと。違いがよくわからない。この読解力のない人も相手にしなくていいと思っています。選挙のとき、各政党は争点を言っていますから、消費税反対だという政党もおれば、消費税を社会保障の財源に使うと言っている政党もおれば、そこの違いがわからないという方は相手にしなくていいです。

 あと3つ目の、政治不信、政治家が悪いことをしているみたいなことを言うと、大体マスコミの情報とか、一時的な情報をうのみにしてレッテル張る人ですよ。衆議院・参議院合わせて717人の議員がいる中で、ごく一部が不祥事を起こしたり、ごく一部が寝てたぐらいで、政治家全部悪いみたいに思う人というのは、タイの人はみんなムエタイやっているとか、女子大生ってこうなんじゃないかとか、私は女子大生だからつき合っている、女子大生ってこういうものだろうとか、そういうレッテル張りするような方は、相手にしなくていいと思います。

 改めてお伺いしますが、選挙管理委員会としては十分過ぎるほどやっていらっしゃると思いますけれども、選挙の周知について、どのようにお知らせし、工夫なり、今後の取り組みなりをお伺いします。



◯選挙管理委員会事務局長(日詰由三君)

 お答えいたします。ただいま、選挙の周知と、周知の今後の工夫といいますか、取り組み、2点ご質問を頂戴いたしました。

 まず、選挙の周知でございますが、選挙人に対して、選挙期日の周知と投票参加の呼びかけに加え、期日前投票等の投票方法など、選挙について必要な情報の周知は大変重要でございます。

 少し答弁が長くなりますが、現在、港区選挙管理委員会で実施している選挙情報の提供方法としましては、有権者全ての人、一人ひとりに投票所入場整理券を送付するとともに、区広報紙、ホームページ、ポスター、チラシ、地区の行事や街頭啓発での呼びかけ、動画による広告、移動型広告として「ちぃばす」のボディ、フロント部分ですが、バスマスクの取りつけや車内広告、防災行政無線等、さまざまな広報媒体を駆使し、多様な手段を用いて周知を図っております。

 2点目の今後の工夫でございますが、委員ご案内のとおり、選挙は行政事務の中で、特に公平・公正が求められます。全国共通の事務でありながらも、各自治体によって異なる文化のもとで行われます。

 公職選挙法第6条で、選挙管理委員会は、選挙に際しては投票の方法、その他選挙に関し、必要と認める事項を選挙人に周知させなければならないと規定されており、選挙人に対する周知は私どもの責務であります。

 近年、インターネットによる選挙運動を解禁、一票の格差是正、選挙権年齢の引き下げなど選挙を取り巻く環境、とりわけ選挙制度が大きく変化しております。

 今後とも、選挙人に対して選挙に関する情報が確実に届くよう、港区選挙管理委員会としてのこれまでの経験則、実績を継続するとともに、派手さはなくても、地道で堅実な周知の充実に取り組んでまいります。



◯委員(赤坂大輔君)

 もう十分やられていますね。十分やられている。日詰選挙管理委員会事務局長も答弁の席立って、八方手を尽くしましたと。ダンディーな事務局長のニヒルな笑顔で八方手は尽くしましたという答弁を本当はおっしゃりたいのでしょうけれども、なかなかそうじゃない雰囲気があると思います。

 相手にしなくていいとは言いながら、そうとばかり言っていられなくて、第4の、さっき3つぐらい選挙に行かない方の分類をしましたけれども、4つ目は、最近こういう人が出てきたなと思う。別に選挙に行かなくても、意見を言う場は幾らでもあるという人がいます。タウンミーティングとか、議員と直接つながっていて意見を言うとか、私は相手にしませんけど、選挙に行かないという人は、話はしますけど。幾らでも意見を言う場がある。

 要するにタウンミーティングとか、平場でいろいろ住民が参加して、垣根を下げていくということに関しましては、選挙権のない未成年者、外国人にターゲットを当てていくべきだと思います。

 議会制民主主義です。議会制民主主義という言葉がちょっと不思議な言葉であるということに気づく方は、ごく一部かと思いますが、議会がある。我々の仕事は、議会で議論をすることです。熱しやすい世論とか、熱くなりやすい民意からは距離を置かなければいけないと私は思っています。

 過去、現在、未来を民意や世論から離れて冷静に判断する。10年前の総理大臣になってほしい候補者1位は田中眞紀子さんですよ。それぐらい移ろいやすい民意に委ねていたら、政治なんかできません。

 民意と世論に全て委ねるということ、今なら技術的にできます。インターネットで直接投票にすればいいのです。全てそういうことをしたら、議会と知性は死にますから、その辺は認識して、我々議員はやっていかなければいけないと思っています。

 議員側からそういうようなムードが余りにも強いので、警鐘を鳴らす意味で申し上げました。

 次に、8月に大体ムーブメントがアップしますけれども、平和展とか、平和についてのことです。これは多くの方が違和感を覚えていると思います。平和じゃなくていいと言っている人はいません。「平和、平和」と言うからには、平和じゃないほうがいいという対論にいる人がいない限り成り立たない議論です。誰もが平和がいいと思っていますけれども、人類の資料が残っている、この6000年の間に戦争がなかった日というのは、3週間に満たないということは、皆様ご存じだと思います。

 通常は平和じゃないのです。努力して平和に向かって頑張っているけれども、人類はなかなかそれに成功していないという事実を鑑みていただきつつ、話を聞いていただきたいのです。

 まず、この「平和を創り、守るために」という、私が議員になる1年前にできたみたいですけど、これについて随分やりました。間違えている点をこういうふうに付箋貼ったら縁起熊手みたいになってきましたけど、1ページ目の部分を読みます。戦争とは、国と国、あるいは人と人とが戦うこと、争うことです。ただ、戦ったり、争ったりするだけでは戦争と言いません。少し難しい言い方をすると、戦いなさいと命令された人々、軍隊、兵隊がいろいろな武器や兵器を使って殺し合い、傷つけ合うこと、それが戦争です、と記述しておりますが、甚だ、浅薄で読むに耐えない。戦争なのか、紛争なのか、内戦なのか、テロなのかの理解も何もないです。

 私は、先の大戦において財刑法定主義上も、国際法上の裁判規範の観点からも、行為規範の観点からも日本国が悪かったことは何一つないということを5年前この場で言って、誰か反論があるならば申し出てくださいということを6年前に言ったけど、誰一人何も言ってきません。

 6年ほど前、今はもう引退された議員と長崎市に視察に行ったときも、いろいろ時間がありましたから、話すネタなんかなくほとほと困り果て、話すネタなんかないですから。「日本って、何か悪いことをしたと思いますか」と言ったら、その議員も、2人ぐらいいましたけど、「何か悪かったんじゃないの」みたいなレベルです。「何か悪かったんじゃない」と言って、最後は怒ったりして。「君は学校で習ってないのか」とか言って怒って席を移動して、でも指定席ですから、まだ私の横に戻ってきましたけどね。彼らは何も考察していないんだなと実感しました。という私の立場を申し上げまして、いよいよ来年「平和を創り、守るために」のリニューアルですけれども、ぜひ。

 昔は、昔というか、平和展のパネル展を見ると、日本が悪いことしたから戦争になってこんな目に遭ったんだみたいな論調が目立つパネルを、東京都から借りたりしていましたけれども、私がさんざん指摘した結果、そういうのはなくなりました。とても評価申し上げたいと思います。事実が淡々と羅列してある戦争展で、今はとてもいいなと思っていますけれども、ただ、唯一、申し合わせたように抜けているところがあります。加害国と被害国が全く書かれていない。誰と戦争したのかが全くわからないのです、あの平和展を見ると、アメリカが出てこない。

 そして、戦争というのは、非戦闘員を殺したら犯罪ですから、戦時国際法上、東京大空襲や原爆というのは、あれは虐殺行為で戦争行為ではありません。それはやはり書かなければいけない。日本というのは不思議な国で、不思議な国というか、人間心理にあるのでしょうけど、よくDV被害者が、たまにDV加害者に優しくされると、もっと好意を持ってしまうような、心理学でいうストックホルム症候群です。ストックホルムであるとき、人質立てこもり事件があったと。いつまでも犯人側から銃弾が鳴りやまない。どうしてかというと、人質も犯人と協力してこっちに向かって撃っていたという。圧倒的なパワーで抑え込まれながらも優しくされ、ついには好意を持ってしまい、犯人と一緒に応戦していたという。ストックホルム症候群というんですけど、この類いに似ています。

 今、アメリカでは心理学で日本を題材にして考えられています。なぜここまで感謝されなければいけないのか。アメリカは不気味がっています。

 ラングドン・ウォーナーを皆さんご存じだと思いますけれども、米軍における古美術担当者です。ウォーナーの指摘で、連合国司令官が、ここは空爆してはいけません、ここは攻撃してはいけませんというリストをつくりました。そこに京都が入っていた。京都に原爆が落ちなかった。簡単なことです。アメリカは戦争が終わった後、京都の文化財を賠償として接収しようと思っていたから、もったいないからやるなと言ったにすぎないのにもかかわらず、日本人は京都に原爆が落ちなかったのは、ウォーナーのおかげだと極度に感謝する。鎌倉駅の西口に行ってみてください。ウォーナーの胸像が建っていたりとか、法隆寺へ行ってみてください。ウォーナーの胸像が建ってて、ウォーナーが勤務していたハーバード大学にも胸像が送られてきて、ウォーナーの家族、気味悪がりまして、いまだに地下室にあって日の目を見ないんですけれども。

 しかも、日本はウォーナーに瑞宝章をあげています。勲二等瑞宝章をあげたりして、来日したときに、いろいろな人がウォーナーのことを抱きしめようとして、彼は非常に気味悪がっていた。何でこんな感謝されるかわからないという。

 東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ。前もここで言いましたけれども、黒人と女は、人間じゃないと言い放っていた人です。有色人種は人間じゃないと言い放った人です。10年ほど前に港区が、表参道で東京大空襲の碑文をつくるとなった際、私は議員になる前でしたが、東京大空襲は戦時国際法違反であり、空爆を指揮したカーチス・ルメイについて必ず書くようにと主張しましたが、碑文に記述されることなく今に至っています。

 カーチス・ルメイに至っては旭日大綬章を日本はあげて、要するに自衛隊の空軍をつくるときに尽力したとのことです。天皇みずからご親授あそばすんだけど、昭和天皇は断固拒否あそばして、カーチス・ルメイただ1人、叙勲はご親授あそばされなかったのですけど。カーチス・ルメイに旭日大綬章、そんな旭日大綬章って大久保利通とか、木戸孝允とか、渋沢栄一とかがもらっているのを、カーチス・ルメイ、東京大空襲の指揮官に旭日大綬章あげて、翌々月ベトナム戦争で北爆を指揮して、枯葉剤をまき散らして、ベトナムを原始時代に戻してやると言って、ベトちゃんドクちゃんの悲劇で彼の人間性を皆さんわかっていると思いますが。とにかく日本が加害者に感謝するというのは非常に迷惑で、国際社会上もあり得ないです。

加害者と被害者はやはり書くべきです。戦争にはルールがないと思っている人が日本では80%を超えているようですけど、そんなことはない。戦争にはルールがあります。しっかり宣戦布告しなければいけません。民間人を殺してはいけません。非軍事地帯は爆撃してはいけません。なかなか守られないという、それは戦争という非常行為ですから。ただ、ルールはあるのだと。そして、今回、戦争だから、加害と被害についてはしっかり書いてもらいたいと思っています。

 1点だけ質問しますけれども、ずっと貫かれているのが、アジア太平洋戦争とか、太平洋戦争という名称でほぼ統一されていますけれども、先の大戦の正式名称は何ですか。お願いします。



◯人権・男女平等参画担当課長(大浦昇君)

 国は8月15日を、戦没者を追悼し、平和を祈念する日とする趣旨に先の大戦との表現を使っておりますが、省庁やその時々により第二次世界大戦や太平洋戦争なども使用している状況です。

 また、区民の皆さんも、港区平和都市宣言20周年事業で作成した記念冊子の体験談を見ると、太平洋戦争や戦争、あるいは大東亜戦争など、さまざまな呼び方をされていますが、特に太平洋戦争や戦争との記述が多いように感じます。

 区においては、区民の皆さんにわかりやすいよう先の大戦という表現を使用することがありますが、冊子の記述内容などに応じて、それ以外の表現も使用しております。

 平和事業の担当いたしましては、広く戦争の残酷さ、平和のかけがえのなさを伝えていく際に、多くの方に70年前に終わった戦争を想像していただくことが重要であると考えています。

 このようなことから、先の大戦の正式名称につきましては、区民の皆さんや国の機関などがさまざまな表現を用いられていることからも特に定義はしておらず、70年前に終わった戦争を先の大戦と表現しております。



◯委員(赤坂大輔君)

 昭和16年12月に閣議決定で大東亜戦争と決まっています。GHQによって禁止されましたが、禁止は失効していますので、正式名称は大東亜戦争です。ただ、広く周知するためという意味合いにおいてだけは、海軍は太平洋戦争という名称も使っていましたから、今の答弁でよろしいかなと思いますけれども。

 世界に行って太平洋戦争と言ったら、チリ対ボリビア、ペルーの戦いですから、パシフィックウォーね。ボリビアはそこで負けて海を失って、いまだに湖に海軍やって、海を取り戻すと頑張っていますけど。外国で太平洋戦争と言ったら、チリ対ボリビアアンドペルーの戦いだと認識されます。

 戦争というのは、そこで起こったところの名称をつけるけれども、例えば、慶長5年に関ヶ原の戦いがありましたと。関ヶ原は、壬申の乱だってあそこでやっているし、南北朝のとき高師直と、北畠顕家が東北から下ってきたときに関ヶ原で戦っています。そもそも慶長5年の関ヶ原合戦ですら、当時は山中の合戦と言っていたんですけどね。名称を関ヶ原の戦いと今つけると、慶長5年の戦いなのです。

 あの戦いの名称は大東亜戦争というのが正式なのだということをわかりながら、先の大戦という表現をしていただくぐらいが現実的なのかなと思っています。

 この冊子がリニューアルされますが、「平和、平和」と言っているだけじゃ平和になりません。不断の努力が必要です。放火犯に放火されて、加害者、被害者が、放火犯に家を新築してもらって感謝していてもしようがないです。ぜひ、冊子のリニューアル版を期待したいと思います。

 終わりますが、ちょうど国際化・文化芸術担当課長の加耒課長がいらっしゃるので話ししたいと思いますが、私、反グローバリストで、国際化は余り好きじゃないので言いますが、国際化というと、何かいいことかのような雰囲気が流れていますが、日本の伝統文化を大事にしながら国際化だとか、おまえが言うなという人が、日本のことがわかってない人が、日本を日本たらしめてきた様式とかと全く真逆にいる人が、2020年に向けて外国人がさんざん来るときに、待ち受けて日本について話そうとしているわけです。

 祭りというのは祭祀です。地域交流じゃありません。春分の日は春季皇霊祭、秋分の日は秋季皇霊祭、正月の日は歳旦祭。勤労感謝の日は新嘗祭やっていますよ。宮中祭祀を。神社の祭祀です。

 そこをわからないでちんどん屋みたいなチンピラの仮装大賞みたいな人がみこしに乗ったりとか、みこしを担いだりして、そういう人が日本文化を伝えますみたいな。何かこの間見たら、背筋ぞっとしました。忍者の格好をした人たちが外国人を出迎えていました。忍者は忍者の格好をしていませんから、当時。忍者だとわかっちゃいますから、当時、戦国時代であんな格好していませんよ。

 だから、何をもって日本文化だとわかっているのかという人が「日本文化、日本文化」と言っていることに加耒課長が、大変悩まれていると思っています。加耒課長なんてすごいんですよ。ご縁戚がミッドウェーで沈んだ加耒艦長。元軍人の遠井課長に聞けば何でもわかる。

 何でしたっけ。飛龍。加耒艦長が、飛龍が沈むときに艦長が最後に残るって。慣例で。本当は逃げればいいんだけど、貴重な人材なのですから。でも、艦長は、若い者から逃がして、山口少将と一緒に月見でもするかと言って、月でも見るかと言って沈んでいったんですね。この従容として最期に赴く姿こそ武人としての誉れですよ。私、大好きな加耒艦長の縁戚の方ですからね、加耒課長は。ですから、何でも国際化、国際化と言っている風潮には、加耒課長はどう思っていらっしゃるのかなと思って。

 日本の核に触れると大やけどするのだという気持ちを持って外国人には当たらなければなりません。幕末期に泉州堺事件というのがありまして、尊皇攘夷の志士たちがフランス人に斬りつけ、断罪された。フランス人は切腹ちょっと見てみたいなんて言って、立ち会ったわけです。そのときに、並みいる尊王攘夷の志士たちは腹切って腸をつまみ出して、大和魂を御覧じろと絶叫して死んでいった。フランス人はビビっちゃって逃げようとするけど、留められて、あなたたちが見せてくれと言っているんだから、礼儀作法だからしっかり見ていきなさいと留め置かれた。そのフランス人たちは後年発狂するに至るんですけどね、みんな腹切って腸を出す。日本文化というのは、1つの簡単な様式じゃないんだと。日本文化というのは、純粋培養された蒸留水みたいなものじゃなくて、血なまぐさい文化に彩られた、先人たちが築いてきた大事なものです。

 その思いを持ってやっていただきたい。日本の核に簡単に触れて、祭りの際におみこしを上から見たりとか、そういう軽い感じで外国人が来て、それが交流、交流と言っているのが本当の交流だとするのだったら、私は違うと思いますし、そういう意識を持ってやってもらいたいなと思っています。国際化というのはいいですけれども、そういう思いを持ってこそ国際化だと思っていますので。

 以上をもって終わります。ありがとうございました。